豊愛日和 弊社営業スタッフの業務外活動記 2015年12月
「新居関所」
皆さん、ドライブ楽しんでいますか?
天気の良い日の運転は、気分がいいものです。
私は仕事上、浜松と豊橋を行き来していますが、
海沿いを走る浜名バイパスといったら、もう最高です。
なかでも、夕暮れ時の浜名大橋。
水平線を鮮やかに彩る青空と夕日のコントラスト。
そして、それを映し出す海面。
いつ見ても格別です。
でも、このワクワクは今の時代だからこそ味わえるんだなと思います。
今から遡ること約400年前。
現在の浜名大橋付近には、関所がありました。
旧東海道沿いにある「新居関所」です。
また、当時は現在のように浜名湖を渡す橋もなく、舞阪から新居までは全て渡船。
今では片側2車線の広い道路を、車で快適に通行できるようになりましたが、
昔は渡し船に関所、交通手段と言えば徒歩か馬だったのでしょう。
本当に便利な時代になりました。
さて、すっかり役目を終えてしまった新居関所ですが、
クローズアップしてみると、意外と興味深い名所です。
というわけで、今回は新居関所を取り上げてみたいと思います。
新居関所が設置されたのは1600年。
天下を統一した徳川家康が交通路の整備にとりかかるとともに、
旧東海道を含む五街道の各要所に関所を設けたのです。
時代や地域によって、関所の役割は様々ですが、
ここ新居関所では主に鉄砲と女性を厳しく取り締まっていたようです。
鉄砲と女性、あまりピンときませんが順にみていきましょう。
まずは鉄砲。
幕府は江戸を守るために色々なことをしました。
そのひとつが江戸を脅かす鉄砲を排除すること。
関所は、鉄砲の侵入を防ぐ役目もしていました。
江戸に鉄砲を持ち込もうとする人物を、関所で食い止めていたのです。
旅人など、見慣れない人物のチェックは厳しかったそうです。
画像は関所内の面番所に構える関所役人たち。
このように複数の役人によって検分が行われていました。
これを関所改めと言ったりします。
奥には責め道具である、さすまた、つくぼう、袖がらみがあり、
いかにも怖そうな雰囲気が出ています。
見せかけだったとも言われていますが、脅かすには十分な迫力です。
次に女性。
なぜ女性を関所で取り締まったのでしょうか。
歴史のおさらいになりますが、
これには徳川家光によって制度化された参勤交代に関係があります。
参勤交代とは、全国の各藩主が定期的に江戸と自領を行き来すること。
しかも、藩主の妻と世継ぎは江戸に常駐しなければならない。
つまり、大事な人を人質に取り、行き来せざるをえない環境をつくっていたのです。
なぜそのようなことをさせたのか。
現代の解釈では、将軍と大名の主従関係を維持する目的があったと言われています。
さて、幕府の目的がここまで浮き出てくると、
関所で女性を執拗にチェックした理由も自然と見えてくるのではないでしょうか。
そうです。
江戸に常駐させている藩主の妻や世継ぎが、
こっそり国へ帰ってしまうことを防ぐためです。
これら2つの取り締まりを当時は「入り鉄砲に出女」と言っていました。
そのため、関所を通るためには通行手形が必要でした。
手形の内容に少しでも間違いがあったり、期限が過ぎていたりすれば通行は不可。
それほど厳しいものだったようです。
もし手形に不備があれば、発行者へ確認。
確認と言っても、今のように通信技術が発達しているわけではありませんから、
書き直しに戻るか、飛脚や遣いに頼むしかないわけです。
しかも江戸や京都へ確認となれば、通行人の足止め時間は相当なもの。
ここ新居関所で1ヶ月近く足止めをされたという女性の記録もあります。
一方で、そんなに厳しいのなら
関所のない他の道を通ってしまえというのが人間の性。
これを、関所破りと言ったりします。
もちろん厳罰の対象ではありますが、当時の状況に浸りながら抜け道を考えたり
関所破りの策略を想像したりするのも、現代の楽しみでもあります。
現在の浜松から豊川方面に抜けるためのルートはふたつ。
ひとつはおなじみ、旧東海道新居関所を通る方法。
もう一つは旧東海道の脇街道である、姫街道気賀関所を通るルート。
これが正規のルートになるわけですが、やろうと思えば何でもありなわけです。
山中を抜けたり、沖を渡ったりと、知恵を絞ったことでしょう。
しかし幕府も大事な人質を逃がすわけにはいきません。
また、江戸を守るため鉄砲の侵入にも目を光らせる必要があります。
そこで、関所近辺の村や船に声をかけ、怪しい人物を監視させたのです。
これらの協力村を「海辺改め村」や「要害村」と呼んでいました。
こうして浜名湖周辺の村に監視を義務付け、関所破りを取り締まっていました。
実際、関所破りで御用になった人物の記録には、
死罪という厳しい処分を受けた者もいました。
冒頭の話とは裏腹に、
当時の人たちは浜名湖を行き来するだけでも大変だったようです。
とはいえ、全ての通行人がドキドキしながら関所を通っていたわけではないようです。
地元民などの顔見知りは、すました顔で通過していたみたいですよ。
ちなみに、新居関所は今も残されている貴重な関所跡です。
関所の役目を終えてからは、学校や役所として利用されていたこともあり
取り壊されず、その歴史は守られてきました。
関所の所々に改修はあるものの、資料館も隣接し当時の様子を知ることができます。
ここでは書き切れないほどの記録が、資料館には残されています。
ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
また、新居は「関所」「渡船場」「宿場町」「湊(みなと)」という4つが揃う
他にない特色ある街でもあります。
新居関所から歩いて行ける場所に「紀伊国屋」という旅籠があり、ここも見学可能です。
2階のある宿で、非常に風情あるところです。
おすすめですよ。
今回ちらっと出てきた気賀関所。
今後はこちらにもぜひ行ってみたいと思います。
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